春を探そう
授業もほとんどなくなって修論漬けだった4月。この頃には私たちは9時5時で誰かの家に集まり、休憩も一緒にとり、個人作業も時間割の通りにするというリズムをつかんでいた。そういうふうにしているチームは稀だったけれど、成果をあげつつ自分たちも快適でいるためには、私たちにとって一番いい形だった。実際、いっぱいいっぱいになってルーティーンが崩れたとき、きっちり行き詰まりかけた。このプロセスから学んだことはとても大きい。
最終的に毎日のように缶詰になって作業した家には、海に面した大きな庭があって、私たちはとても恵まれていた。
3人でミーティングのホスト、ハーベスター(記録を取る人)、タイムキーパーを持ち回りしていた。ホストに当たった人は、チェックイン・チェックアウト(今の気分の共有)の質問を考えてきたり、休憩時間にみんなでできるちょっとしたアクティビティ(歌、ダンス、瞑想、運動など)を用意したり、おやつを持ってきたりした。
私がホストをしたある日、休憩時間に「春を探そう」とお誘いした。春だなぁと感じるものについて、ひとりひとつずつ話す。とてもいい時間だった。誰がなにをいったか忘れてしまったので、今思うことを書いてみる。まず、地面に小さな小さな花が咲き始める。例えばこの写真は、芝生に薄水色の花が咲いているのだけれど見えるかしら。
あれ、昨日はこんなところに咲いてなかったよね?!と驚く。スノードロップなんかはわかりやすいけど。
続いて、地面に大きめの花が咲く。
樹にちっちゃい花が咲いて
樹に大きな花が咲く。あと、鳥の歌が上手くなる。他の季節に比べてずっと魅力的。
という印象だった。一年スウェーデンに暮らしてよかったのは、四季を一周できたことで、春の待ち遠しさ、太陽のありがたさがわかったこと。暗い・寒い・天気が悪いの三拍子揃った冬のあと、ゆっくりゆっくり訪れる春の美しさを味わえたのは本当によかった。いのちが目覚めて芽吹く季節だとこれほど実感できたのは、冬が長く厳しいのに加えて、土や森がどこにでもあって、鳥もたくさんいる街だったからだと思う。
「気持ち、わかるよ」
10月、リーダーシップについてのゲストレクチャーがあった。IKEAの初期を支えた人。
この時期、別のコースで地球の諸問題を科学的な見地から学ぶ授業が続いていた。地球で生きるなら全員知っていたらいいのにと思える、命の根幹を揺るがすような知識に触れて、私はずっと教育に携わっていながら、こんな大事なことを知らなかったの?まして全然別のことを教えていたの?と、やりきれない気持ちに何度もなっていた。
そのタイミングで講義に出てきた「よくある間違い」というフレーズが、また引き金になった。
・すべきでないことをしてしまう
・すべきなのにやらない
どっちも自分がしていたことのような気がして落ち込んでいたところで「ここまでの感想をシェアしてみよう」の時間になった。泣いてしまっていたのでどうしたものかと思っていたら、ペアの相手に「ぼくたちあんまり遊んだりしないけど、話してくれて大丈夫だよ」と言われた。確かにそんなにhang outしてないけどだから躊躇してるわけじゃないんだよ、と返しつつ、そのときの気持ちをありのまま話してみようと思えた。じっと聞いてくれた。そして、ここに来る前の自分の話をしてくれた。
その人は映像制作に携わっていて、地球を壊している企業のCMを作っていたし、人を操作することばかり考えていたと今わかって、痛みを感じることがある。だから
「気持ち、わかるよ」
全然違う職業や文脈にあっても、大きな有害なシステムに加担してしまうという共通の痛みを感じている人がいて、それについて話し合えるとわかったことが、本当にありがたかった。私たちがいるのは今ここだし、ひとりじゃない。
ちなみに結局その人とは、つるんだりしないままだったけれど、やりとりはいつも、なにか深いやさしさに満ちていたような気がする。
修論メイトが覚えてくれた日本語
「お手上げ」ってどういう意味?と聞かれたのは、このファイルを修論用に使っていたから。
絶望して降参するっていう意味、と伝えたら、面白がって使ってくれるようになった。締め切り前で煮詰まってきたら、みんなで「OTEAGE~!!」
あと私が使いたかったから、「お疲れ」を教えた。一日の終わりには「OTSUKARE~!」
なんてやさしい人たちなんでしょう。
「どのみち大好きだし」
プログラム後半での大きな気づきのひとつに「課題が期日に間に合わなくても生きていていい」というのがあった。私は生徒の頃も学生の頃も教員をしていた頃も、できませんでしたって言うのがイヤで、なんとしてでも締め切りに間に合わせてきた。といっても余裕はなくて、夜中までかかったことも早起きしたことも、直前に印刷したこともあったけれど。
3月上旬、修論の中締めと、リーダーシップのコースの大きな提出物が重なった。なんとかしようと試みたけれど、どうにもならなかった。どちらも誠実に向き合いたい課題で、間に合わせるためだけに終わらせようとは思えなかった。体力的に無理をして、チームワークに支障がでるのも避けたかった。そこで、個人の提出物のほうは締め切り後に出すことにして、修論を優先しようと決めた。無念に感じて、ものすごくモヤモヤした。頑張っていたのに終わらなかったから。今までそんなことなかったから。
次の日の朝のミーティングで、そのことを修論チームに話した。「出さなくても生きてていいみたい」と言ったら、「それはとんでもない責任感だ」と驚かれた。続けて、自分の修論の分担も終わっていないことを伝えて謝った。
「いいんだよ。どのみち君のこと大好きだし」
笑顔でもなく、慰めているわけでもない。そんなの当たり前じゃん、何を心配しているのという調子で言われたので、こちらもなんだかあっそうなんだという感じになったのが、ずっと忘れられない。私がしたこと(というかしなかったこと)と、私が私であることを、分けて考えてもいいってことかと思えた瞬間だった。そして、自分に対して心からそう思えることで、他の人に対する見方もきっと変わるだろう。私は、そっちに行きたい。やさしいほうに。
*ちなみにI love you.は、お友達に「大好き!」って言う感じで気楽に使われていた。
旧正月
2月初旬、アジア(ベトナム、中国、日本)出身の3人組で旧正月パーティーをした。日本では旧正月は(少なくとも私が暮らした地域では)祝わないんだが…と思いつつ、楽しくなりそうならなんでもよかったし、楽しいイベントが必要な季節でもあったので、我が家で開催した。
私はヴィーガン寿司を作った。茹でキャベツ、味噌につけた豆腐、すし飯をタッパーに入れて押し寿司。野菜の飾り切りって日本ぽいかなと思って、花びらに切ったニンジンをのせた。押し寿司は手軽さが気に入ってこのあとちょいちょい作っていたら、Sushi cakeとして親しまれた。実際、ケーキ型でも作ったしな。
生春巻きも作っていたら、チームが出現して巻いてくれた。
あとフォーと
中華。
トマトと卵炒めなど、中華料理がとても「おうちの味」に感じて落ち着くことがわかった。調味料以上に食材の調達に壁があって和食の再現には苦労していたんだけど、中華はそうでもないみたい。
残念ながら写真がない、細く切ったじゃがいもを肉入り豆板醤みたいのでただ炒めたものがめちゃめちゃ美味しかった。アジアンショップで同じ調味料を探したけれど見つけられなかった。中国からやってきたのかもしれない。
サステナビリティコンサルティングのプロジェクトが完全に終わった時期だったし、開放感があってよかった。